▼ 落雷
サビ組のボスがミアレシティを歩く、というのは、それだけである程度の「抑止力」になる。その自覚をもって今日もカラスバは「お散歩」をしているわけだ。ジプソと共に出向けばより効果的だが、殊更に場を威圧させたくない時は、一人でふらふらとするくらいが丁度いい。
抑止、といっても、ヒーローよろしく街中の喧嘩を仲裁したりとか、ひったくり犯を追い掛けてボコボコにするとか、そのようなことはしない。そういうのは、日向で活躍する者に任せておけばよく、幸いなことにこのミアレにはその適役が少なからず、いる。そのためカラスバはわざわざ、日向には飛び出さない。ただ街を気ままに歩くだけ。
しかし街を歩いているだけのカラスバの、この派手なスーツを認めた途端、道行く者たちの背筋が面白い程に伸びる。目立つ靴音を聞いた者もまた、同じように。
もちろん全員がそうなるわけではない。顔色を変えたり肩を強張らせたりするのは、大抵……「やんちゃ」をしようとしている者だけだ。そうでなくとも、後ろめたいことを考えている者や、過去にサビ組のお世話になった者など。
「っふ」
ほらみっけ。
びくっと肩を跳ねさせた男は、慌ててキャップを目深に被り直し、こちらに背を向けてそそくさと走り去っていった。
サビ組。表向きは何でも屋さん。その「何でも」の中には「警察がまだ介入できない悪事を強引に摘む」であったり「やんちゃな連中をルールギリギリのやり方で慈善事業にお誘いする」であったりが含まれるからして……まあ、お天道様に胸を張れる組織かと言えば、ギリギリ「否」だ。
ない方がいい組織。けれども今のミアレには必要な組織。そんな組織を束ねるボス、カラスバ。自らに寄せられる視線が心地よいものではないことはまあ、認める。だがそれがどうした? カラスバが歩くだけで「やんちゃ」の芽を未然に摘めるなら安いものである。この街では下手な悪さはできないなと、そう思ってもらえるなら、己の立場にも価値が……誰にも取って代われない価値があるというもの。
それに、ルールギリギリのところからありったけ、色々とやるのは純粋に、楽しい。このやり方は嫌いではない。いつか不要となり消えゆくものであったとしても、それがミアレの「完成」であるならば、ほら、最高のエンドロールではないか。
とまあ、そういうこと。このカラスバが気紛れに行うお散歩の抑止力、お分かりいただけただろうか。ちょっと悪ぶって言えば「オレのシマで悪さするなら承知せえへんで」と、まあそういうことだ。やんちゃ、は程々にしてもらわなければ。
「うわあぁ!」
「ん……? なんや」
さて、そんな「アウトロー」っぽく見られがちなカラスバにも、情けの心は人並みかそれ以上にある。
屋根から落ちかけているニャスパーを見かけたなら汗だくでそこの足場を駆け上るし、セゾン運河で溺れているスボミーがいれば靴とスーツを脱ぐ暇さえ惜しんで即刻飛び込む。迷子の子供がいればそこいらの自動販売機でミックスオレを奢りつつ、一緒に親御さんを探すし、足をくじいたマダムがいれば、ペンドラーの背中に乗せて病院に運ぶ。もう自然と体が動いてしまう程度には、この身に根付いた人助けの魂は色濃く。これくらい迷わずできなければ人として恥ずかしい、というミアレ市民としての矜持も、まあ多分にあるのだが。
「やめて、やめてぇ!!」
「っ!」
そんなカラスバの耳に飛び込んできた、悲鳴。反射的にそちらの方へと足が向いてしまうのは、もう仕方のないことである。
比較的温厚なポケモンが住処にしている、ワイルドゾーン一番。緑色のホロゲートを抜け、通りを真っ直ぐに駆ける。
「おい! どないしたん、や……」
申し訳程度に生えた柔らかい草むら、そこに埋もれるようにして、悲鳴の主はいた。
その「少女」は……以前読んだことのあるバトル漫画を彷彿とさせるポーズで、アスファルトに倒れていた。その衣服や髪のあたりでぱちぱちと派手に鳴っているのは、静電気だろう。犯人はおそらく、すぐ傍でこちらを見ている二体のメリープだ。互いに顔を見合わせ、戸惑う素振りを見せている。
少女の近くに転がっていたモンスターボールの中、不安そうにカラスバを見上げるポケモンが一匹。ここいらではあまり見かけない水ポケモン、ワニノコだ。
「うわぁあん! ひっ、ひどい……ぴりぴりする……」
「……」
「えっう、あ、わぁぁ……」
推測できることは、いくつかある。驚くべきことも、いくつかある。
一つ目。ポケモントレーナーと思しきこの子は、メリープに対して、相棒であるはずのワニノコを向かわせるのではなく、生身で突撃していったようだ。もしかしたら、メリープに弱点を突かれてしまう水タイプのワニノコを繰り出すことに、ためらいが生じたのかもしれない。
二つ目。このワイルドゾーンにいる温厚なメリープたちのことだ。この子へ本気で攻撃しようとは思っていなかったはず。相手がポケモンであってもトレーナーであっても、追い払う意味で微弱な電気を飛ばす程度であるのが、常である。しかしメリープたちにとって予想外だったのは……この子が想定以上のダメージを受けてひっくり返ってしまったことだ。「えっあっ」と焦ったように顔を見合わせているのは、きっとそういうことだろう。
そして三つ目。
「おーい、大丈夫か、その……お嬢さん」
アスファルトに倒れて、幼児もかくやというようなぺしょぺしょの泣き方をしているこの子だが……どう見ても15歳は余裕で超えていそうな、ハイティーンの女性である。
こんなぴいぴいわあわあと泣く女性を、カラスバは他に見たことがなかった。なんというか、その、言葉を選ばずに言うなら……見るに堪えない。
「ぴりぴりが、なくならなくてぇ」
「せ、せやなあ……」
「いひゃい、くちが、しびれる……」
その喋り方に、ミアレシティではあまり聞かない「訛り」を感じるのは、彼女がミアレの外から来た人間だからだろうか。それとも、痺れすぎて喋りがぎこちないからそう聞こえるだけなのか。
「ん?」
コロコロ、と足元でボールが転がっている。視線をそちらへ移せば、ワニノコが小さな手でぐいぐいと一方向を示していた。彼女の腰に付いているポーチ。あれを使え、と言いたげである。
もちろんカラスバにポケモンの言葉を聞く力はないが……これでもポケモントレーナー歴は人並み以上に長い。その場の状況、身振り手振り、鳴き方、表情などで、何を言わんとしているかはある程度、察しが付く。大きく外したことは、あまりないはずだ。
「しゃーないなあ」
あくまでワニノコに乞われてのことだ、と強調するように、やや大きな声でそう呟いてから、まだぱちぱちと静電気を散らしている彼女のポーチに手を伸ばす。彼女自身に加え、ポーチも帯電しているのでは、と身構えたが、カラスバが触れても静電気は飛んでこなかった。
ワニノコが示したかったであろうブツは、ポーチのチャックを開けてすぐに見つかった。コロンと転がり出てきたのは、ミアレシティでならあちこちで拾うことのできる「クラボの実」である。ポケモンのマヒ状態を治すために使われるこの苦い木の実、もちろん人用ではないが、静電気による痺れを取るくらいの効果はあるだろう。
何より、不安そうな顔でこちらを見上げるワニノコに「安心しぃや」と言ってやれる材料が、今のカラスバにはこれしかない。
「ほれ、口開けや」
「む、んっ!?」
ヘタをぷちっと取り去ってから、赤くて丸くて小さなものを女性の口に押し込む。しばらく目をつぶってもぐもぐとしていた彼女は……顔をしわくちゃにして、さらに泣き出した。
「ふぅぅぅ……にがぁぁぁ……」
「ぶっ」
どこに溜めていたんだと思ってしまうくらい、ドバっと勢いよく溢れ出てきた涙が、憐れみを通り越していっそ愉快でさえある。少し吹き出してしまったことへの後ろめたさゆえに、カラスバは慌てて顔を背けた。視線をズラした先、メリープたちの表情が和らいでいるのが見えた。「応急処置」が為されたことで、もう大丈夫だと確信したのだろう。彼等は互いに顔を見合わせて頷き合ったのち、ゆっくりと遠ざかっていった。
「おっと」
けたたましい音と共に、カラスバのスーツからスマホロトムが飛び出してくる。ほぼ確実に、サビ組の仕事関連。しかも、ジプソの個人的なスマホの番号から掛かってくるということは、それなりに急を要するもの。
今どちらに? と尋ねられたので、笑いながら「一番ワイルドゾーンで人助け中や」と正直に答える。内容は案の定、事務所での新しい「おはなし」を促すものだ。二つ返事で了承し、通話を切る。未だぐずぐずと泣いているこの子の前に、そっとしゃがんだ。
「お嬢さん、オレ今からお仕事やねん。他の人呼んでくるさかい、痺れがまだ残るようなら病院の場所、尋ねたらええよ」
「ふっ、ひぅ、は、はい……」
「ポケモンバトルは初めてか?」
「え……あの、ちが、昨日からでしてぇ」
「昨日て……新米さんやん」
成る程、ならば慣れていなくても仕方あるまい。体のそこまで大きくないワニノコを、前線に出すのにためらってしまった気持ちも、まあ分かる。
そして、この子から言葉を引き出して、確信した。この子は外の人間だ。ミアレシティという場所も、ポケモントレーナーという立場も、まだこの子に馴染んでいないのだろう。
こんな泣き虫でやっていけるんかいな、と思わなくはないが……まあ、いずれまた手を貸せる時も来るだろう。この子がミアレでやんちゃをしない、善良な人間であり続けるならば。
いや、まあその心配はせんでええか。悪いことするにも才能が要るからな。コイツは絶対、向いてへん。
「ミアレへようこそ」
「お、お邪魔してますぅ……」
「っはは! がんばりや」
邪魔するんやったら帰って、というお決まりのからかい文句がすぐ頭に浮かんだが、泣いているお嬢さんに出すべきものではないだろう。またこの子が元気になった時、同じことを言うようであれば満を持して言ってやってもいい。そう思いながら、肩を一回だけぽんと叩いて立ち上がった。
「ありがとうございましたぁ」
「気にせんでええ」
「ミアレシティ、いい街ですねぇ」
ぺしょぺしょに濡れた顔のまま、へらっと笑い、目を細める。溜まっていた涙がまた溢れて、横に流れた。
せやろ、ええ街やねん。よう分かってるやん。
そう返してやりたかったのだが、少々、難しかった。代わりに軽く手を掲げて、振った。
まだ僅かに残っていたらしい静電気が、カラスバの左手、人差し指をぴりっと刺していた。手を小さくしか振ってやれなかったのは、きっとそのせいだ。