▼クロスニコル
サビ組の事務所前には複数の監視カメラが仕掛けられている。そして、今日はジプソが例の少女に連絡を取る日だ。にもかかわらず、カラスバは彼女がやってきたことを確認できていなかった。
ジプソが連れてきたのは、エムゼット団のメンバーであり、既にこちらも把握していた少女、デウロ。そしてその隣には見知らぬ子供。
誰だ?
「どなたさん?」
予定通りの相手が顔を出したとて、カラスバは相手に圧を掛けるためにそう尋ねただろう。しかし今回は本気で「誰だ」と尋ねていた。本当に誰か分からなかったからだ。
しかしジプソは「え?」と困惑したようにこちらを見る。
「こんにちは! ジプソさんに呼ばれてきました」
にっこり笑うその子供。服も、靴も、髪型も変えてしまっている。目元の印象も違う。メイクかカラコンか、何かしているのかもしれない。カラスバの記憶や、ジプソが寄越したあの写真と同じなのは、髪の色くらいだろうか。声も……似ている気がするが、まだ確信が持てない。初めて会った時のわあわあぴいぴいとした泣き声とは、同じである気がするし、違う気もする。
だがそうした不確かさは、彼女が首を傾げつつ、へらっと笑ったことで一気に吹き飛んでしまった。
「オマエが!?」
変わりすぎている。だが一度合致すれば、もうそうとしか見えなくなった。
そうとも、そんな間の抜けた笑い方をする奴が、そう何人もいて堪るか。
「ねえ、知り合いなの?」
「はじめましてのはず、ですけどねぇ」
眉を下げてへらっと笑う、その表情。間違えるはずがない、あの子だ。メリープに痺れさせられ、クラボの実を口に突っ込まれ泣かされながらも、立ち去ろうとするカラスバに「ミアレシティっていい街」と告げて笑った、あの時の表情そのままだった。
しかし「はじめまして」だと? 覚えていない? そんなまさか。
そもそも、この子が本当に彼女であるのなら。エムゼット団のEランク……いや、もうDランクだったか……の新入りであるのなら。こんな余裕そうな笑顔でここに立っているというのは、おかしくないだろうか?
「いや……それやったら、オマエが痛めつけて話を有利に進めるはずやなかったんか」
「それが、かなりの手練れでして」
は!? と再度叫ぶことをギリギリのところで堪えた。しかし内心、心臓が飛び出しそうな程の衝撃を受けていたことは、もう否定しようがなく。
いや、有り得へんやろ。ジプソがやられたっちゅうんか! こんな……こんな子に!
「……」
「あの、カラスバさん?」
顔色の悪いもう一人の少女……デウロとは対照的に、この子はカラスバの立場と名を聞いても、一切怯む様子を見せなかった。その余裕は、この子の肝が据わっているから、ではなく、単に「サビ組のボスとこの部屋で対峙するという、事の重大さを全く分かっていない」からこそ、生まれているものだろう。
相手を警戒し、疑う力がこの子にはない。「騙されやすいだろうな」と思った。また同時に「人を騙せそうにもないな」とも思えてしまった。相手の警戒心や猜疑心を汲めない者が、どうしてその隙間を潜り抜けて人を篭絡できよう。
再度確信する。この子に悪いことなどできるはずがない。こんな子を置いているエムゼット団が「ヤンチャ」をしているはずもない。間違いなくシロだ。
だがこれは……これはどういうことだ?
「その……」
「?」
「えらいお洒落しはったんやなあ」
ちゃうわ、そんなこと訊いてどないすんねん!
採点をするなら赤点ギリギリくらいの声掛けだ。やってしもた、と頭を抱えたい気持ちになりながら、額に青筋を作るくらいに留めておく。隣のデウロは益々顔を青ざめさせたが、彼女はそんな筋など見えていないかのように、ぱあっと笑顔になり、両手を胸の前で合わせた。ぺち、という弱々しい音が鳴る。何をやっても、なんだろう、絶妙に不格好だ。
「そうなんです! 可愛くしてもらいました!」
「へえ……そちらさんが?」
「え、い、いや! あたしじゃないです!」
ブンブンと首を振るデウロ。隣で彼女はへらっと笑うだけだ。「誰に」可愛くしてもらったかについては口を割るつもりがないらしい。
まあいい。そんなことは些事だ。
「ジブン、なんで呼ばれたかは分かってる?」
「ガイの借金をどうやって返すのかなって、相談を」
「せやで。お嬢さんらはエムゼット団のメンバーやろ? っちゅうことはガイの仲間や」
「はい! ガイくん、わたしたちの大事な仲間ですよ」
「連帯責任、って言葉は知ってるか?」
「もちろんです!」
「ほな話が早い」
カラスバは視線でソファを示す。「こっちの話にはいと言うまで立ち上がれへん」ことで知られるその商売道具。
「あのソファ、座り心地ええで……」
こちらの出した条件を呑むまで立ち上がらせへん、とはっきりと言葉にしたにもかかわらず、そんな脅しなど暖簾に腕押し。彼女は顔色一つ変えずに、へらへらとした笑みのまま、スキップでもするかのような足取りで近付いていった。本当に分かっていないのだ。皮肉、というものが。
ちょっと、と焦ったようにデウロが駆け寄り、彼女の腕を掴む。そして彼女は、振り返った。
「!」
カラスバは、息を飲んだ。先程までのへらっとした笑顔の面影が、剥がれていたからだ。
「逃げられないよ」
凪ぎ切った、涼しい声だった。つい二秒前までへらへらと笑っていた人間の口から出てきたとは思えない程の。
「わたしたちはガイくんの過失を償うために呼ばれたの。怯んだって、怖がったって、慈悲なんか貰えない。向こうの要求を呑んで、早く終わらせよう」
「っ、でも! 無茶苦茶だよあんな利子」
「じゃあ、デウロさんは帰った方がいい。大丈夫、わたし一人で全部やれるから」
訂正。涼しい、などという優しいものではない。冷たい声だ。
口元をかたく引き結んだこの子は……成る程確かにこうして見れば、十九歳の、年相応の大人びた女性に見える。加えてもう一つ、いや二つ、その鉛色の目に見えるものがある。一緒に来てくれた仲間であるはずのデウロへの、憐憫。そしてこのような手段で二人の逃げ道を塞いできたサビ組……カラスバやジプソへの、軽蔑だ。
なんてえげつない目ぇするんや、オマエ。
へらへらと道化を気取るのが面倒になったのか? それとも一人の少女をここまで絶望させるほど、サビ組のやり方は悪質だったとでも? いやまあそら悪質ではあるけども。
それにしたってこんな変化は「おかしい」と、ほぼ初対面のカラスバにさえ感じてしまった。これはなんだ。オマエは誰や。まるで、別人みたいに。
けれどもそんな冷たく不気味な印象は、再び彼女がへらっと笑ったことで、パチンと泡のように弾けて消えてしまった。鉛色に淀んでいた目に、瞬きひとつでぱっと光が灯る。水に濡らしたビー玉のような、ひたすらに子供っぽい眼差しに戻っていた。
「い……いや、一緒にいるよ。だってあなただけじゃ、カラスバさんたちが言いそうな難しいこと、分からないでしょ」
「え!? そ、そっかぁ! そうだよねぇ、やっぱりデウロがいなくっちゃあ!」
いつもすまないねぇ。おじいちゃんそれは言わない約束でしょ。などと軽口さえ飛び出し、二人の少女の間に至極和やかな空気が流れた。傍目に見れば微笑ましい少女たちの、おふざけ混じりの遣り取り。ここがサビ組の事務所である点を除けば、何の違和感もない。
そして、何の違和感もないこと……この一瞬で何の違和感も「なくなってしまった」ことが、カラスバを少しばかり、不安にさせる。
『逃げられないよ』『早く終わらせよう』『わたし一人で全部やれるから』
人が変わったかのような彼女の喋り方に、デウロは怯む素振りを全く見せなかった。まるで、この子がこうなることなど最初から分かっていた、とでも言うように。
「わぁ! ふかふか!」
ぽふ、とソファに座ってデウロを招き、カラスバとジプソの方へニコッと笑い掛ける。全員の着席を待っているらしい。何を言われるのかまるで分かっていなさそうな笑顔だ。けれどもそんな彼女の口から数十秒前、こちらの意図をすべて汲み、その上で、駒として使われる己が運命をすっかり諦め、受け入れてしまっているような言葉が飛び出したのもまた、事実で。
「ほな、始めよか」
分からない。分からないが彼女たちのこれからは、彼女が先程発した冷たい言葉の通りである。この子たちはサビ組から逃げられない。逃がすつもりなどない。
エムゼット団が悪いことをする組織ではないことはもう疑いようもないが……折角だ。手頃な仕事を押し付けて監視するついでに、徹底的に調べてやろう。