返照(本編)

Chapter2:呼び出し

▽「オレにナンパさせんなや」

「オレのこと覚えてへん?」
「え?」

 利子をチャラにするまでの「お仕事」の取り決めをしたところで、カラスバはそう切り出した。
 ポカン、という音が聞こえてきそうな程に間の抜けた顔をした彼女……の肩を、デウロが慌てたようにつつく。

「ほら! やっぱり知り合いだったんじゃない? ここまで物忘れが酷いと失礼だよ!」
「あ、あれぇ……?」
「いや、待って! これって新手のナンパの手口かも! 本当は会ってなんかいないのに運命的な再会を仄めかす、悪質な」
「なんでやねんそんなワケあるかい」
「えっ!? そんな……わたしナンパなんてされたの初めてです!」
「オマエも喜んだらアカンやろが! 警戒せえ! っおい、なんやジプソその目は。ちゃうで。ちゃうからな?」

 まさかこんなしょうもない窮地に立たされることになるとは思いもしなかった。慌てて否定するも、ジプソの複雑そうな目とデウロの警戒に満ちた眼差しは解かれない。
 当の本人だけが「ナンパかぁ」とニコニコへらへらと嬉しそうにしている。この調子では、警戒心、という言葉さえ知らなさそうだ。この子が一体、どうやって一か月間、ミアレで無事に過ごしてきたというのか……多少、興味が沸くところだ。

「一か月くらい前に、ミアレ駅の近くのワイルドゾーンで会うたやろ。オマエがメリープに痺れさせられてるとこを助けた覚えがあるねんけどなあ」
「ああ! えっと……その節はありがとうございました?」
「なんで疑問形やねん」
「あのメリープたちには何十回と痺れさせられてきましてぇ、その度にいろんな方に助けていただいたので……」

 成る程、カラスバが見かけたあの衝撃的な光景は、彼女にとっては日常茶飯事。誰かに駆け寄られるのも日常茶飯事、ということだったのか。
 少しからかいたくなって、ニヤッと笑いつつ少し身を乗り出す。サビ組は慈善事業に熱心な組織でもあるからして、子供の面倒もまあそれなりに見る。小さなお調子者のお子様を相手にしていると思えば、不気味な鉛を飼う少女と言えど、そう緊張するものではなかった。

「ほーう、つまりアレか、恩人の顔なんざいちいち覚えてへんっちゅうことか」
「ひぃっごめんなさい! 痺れてる時って目もあんまり見えなくなっちゃうものでぇ!」
「あー……っはは、成る程? ほなしゃーないか」

 こちらを覚えていないのにも、相応の理由があったらしい。助けられることに慣れすぎたが故の、恩知らずな子というわけではないようだった。
 しかし、メリープに痺れさせられて、通りすがりの誰かに助けられて……ということを繰り返してきたのに、この子は痛い目を見ていないらしい。「何十回」という、耳を疑いたくなる回数が彼女の口から出てきたのがその証拠だ。

「ミアレのみなさん、とっても優しいですよねぇ」

 加えてこの子は、豪運でもあるらしい。あんな風に倒れていれば、ポーチの中身など物色し放題だろうに……そういうことをこの子はされなかったようなのだ。
 もしかしたら、そういう悪意を持った人間が近付いたこともあったのかもしれない。だが……これはカラスバの勝手な推測に過ぎないが……悪漢がこの子の見るに堪えない泣き方を見て、欲より憐れみが上回り、悪事を見送ってしまった可能性がある。もしそうなら、なんて破天荒すぎる防犯だろう。悪漢にさえ同情を寄せられ、慈悲を掛けられる程の非力。憐れ、というのは、時に身を守る術になるのだ。もちろん、そうなりたいとは全く思わないが。

「それで? そんだけ痺れさせられておきながら、オマエはメリープを未だに一体も捕まえられてへん、と」
「ぐっ!」
「ようそんなんでDランクまで上がってこられたな……」
「う……うわぁあん!!」
「あー泣かせた」
「泣かせましたな」
「おい! せめてジプソはオレの味方せえや!」

 カラスバの言葉を受け、一度はぐっと堪えたものの、すぐにぶわっと一気に涙が目から溢れて頬を滑る。わあわあぴいぴいと喚く声に若干の焦りを覚えるのはもう仕方ない。子供の声で泣かれてしまうと後ろめたくなるのは人の性だ。
 どこに溜めていたんだと思うくらいの涙の勢いに苦笑しつつ、ハンカチを取り出す。受け取れない、というようにブンブンと首を振る彼女の手に無理矢理握らせた。涙でぺしょぺしょになった顔を上げて、へらっと笑う。礼を言いたいのか謝罪を言いたいのかまでは読めないが、まあこちらの謝意は汲んでくれたということでいいだろう。不本意ながら、女の子を泣かせてしまったわけだし。

 彼女はハンカチを少しだけ目元に沿わせてから、膝の上にそっと置く。続けて自らのポーチからティッシュを取り出し、パッパッと二枚引き抜いて控えめに鼻をかんだ。さらにもう一枚引き抜いた分で目をゴシゴシとやっている。
 ハンカチ……つまりはこちらの「謝意」を受け取りつつも、彼女はそこへ申し訳程度にしか涙を吸わせなかった。借り物を必要以上に汚すべきではない、という……何も考えていなさそうな彼女からごく自然な形で出てきた配慮に、カラスバは少しばかり、驚く。

「ぐすっ、えへへ……大丈夫、気にしてませんよぉ。わたしがポンコツなのはわたしが一番よく知ってますから」
「気にしてへん泣き方とちゃうかったけどな」
「まあそういうわけで、カラスバさんのこと覚えてなくて。わたしにとっては今日が初対面です」
「そうか」

 ありがとうございました、の言葉と共に、カラスバの手元へハンカチが戻ってくる。指で全体を触ってみたが、少しも濡れていなかった。目元を拭う仕草さえ「フリ」であったことに、さらに驚かされる。
 なんやオマエ。露ほどの警戒心も持ってへんくせに、こんな配慮はできるんかいな。

「失礼でしたよね、ごめんなさい」
「いや、痺れててよう見えんかったんやろ? 気にしてへんよ」
「こうやってナンパするにも勇気が要ったでしょうに……」
「待て、ほんまにそういうつもりやなくてな。おいジプソその目やめろ言うてるやろが!」

 そして、こんな冗談も言える、と。
 えらい厄介な子やんけ。ああもう勘弁せえや。

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